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東洋大学スポーツ新聞編集部

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2019/09

 
最新号

東洋大学スポーツ新聞編集部

Author:東洋大学スポーツ新聞編集部
スポーツ東洋67号

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[特集]旧山古志村ボランティアに学ぶ 

 2004年10月23日17時56分。新潟県のほぼ中央に位置する小千谷市を震源としてマグニチュード6,8、震源の深さ13kmの直下型の地震が発生した。新潟県中越地震である。小千谷市から南へ約270km離れた東京・東洋大学白山キャンパスで6限の開始を待っていた時に感じたあの揺れを、今でも鮮明に覚えている。

 東洋大学では、学生と教職員が一体となり、大きな打撃を受けた旧山古志村地域を中心に、「旧山古志村復興支援事業」として様々な復興支援活動に取り組んできた(学祖の井上円了は新潟県三島郡越路町生誕。長島忠美前山古志村村長は昭和47年度東洋大学経済学部卒業である)。昨夏・今春先には多くの東洋大生がボランティアスタッフとして山古志で活動をしてきた。そして今夏、再び学生をボランティアとして派遣。我がスポーツ東洋からも8月30日~9月3日の5日間に渡って、3名の記者が活動に参加した。

 “『自分達の村へ帰ろう!』住民たちは中越大地震からの復興、長岡市への合併、さらに市制100周年と激変する山古志の空をみながら、同士とのつながりを再生しつつ、みんなで復興の“のろし”をあげよう!!と立ち上がりました。”
(※:山古志災害ボランティアセンター・ブログ[http://soiga.com/npo/yamak/]より引用。山古志村は2005年4月1日に長岡市へ編入合併された)


 だがしかし、約1年10ヶ月たった現状でも、未だ2割の人々が帰村したに過ぎない。山古志地域の復興は、その立地から周辺都市に比べて約1年遅れているそうだ。今冬までには多くの方が帰村する予定だが、未だに避難指示が出ている地域があることも忘れてはならない。

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屋根が陥没した家屋

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土砂に埋もれた家屋。写真に写っているのは2階部分

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竹沢地域の工事の様子

 今回の活動は住民の方々が村へ帰る引越しのお手伝いがメインとなった。実際に我々3名も帰村されるご夫婦のお手伝いをすることができた。帰ってきて真っ先にお二人の口から出た言葉は、「山古志の空気が好き。気分がまるで違う。仮設住宅は他人の家に住んでいるようだ」というものだった。その嬉しさはお二人の表情に滲み出ていた。
P1090342.jpg
P1090339.jpg


 また、活動中の9月1日には、長岡市役所山古志支所(旧山古志村役場)が山古志でのすべての業務を再開した。これは山古志にとって大きな第一歩だ。9月3日には地震で寸断した国道291号線が全線開通。山古志と外地域とを結ぶ希望の架け橋が架かった。
P1090344.jpg
約1年10ヶ月ぶりに行政機能が復活した長岡市役所山古志支所

 我々も微々力ながら復興に貢献できたことに誇りを感じる。住民の方々が一日も早く以前の生活を取り戻されることを願って止まない。
 以下には実際に活動をした3名の感想を掲載する。

 
 今回の山古志へのボランティアは、自分自身に多くのものを吸収させてもらえたものでした。
 今までにボランティア経験はなく、この機会にどう自分が村民の方々の役に立てるかが不安で、仕方がありませんでした。「成せば成る!」そんな気持ちで村へ向かったはずが…なぜか硬くなってしまい。「こんにちは」。村に着き、初めて村民の方に声をかけた時、かなり不安な気持ちがあったことを憶えています。
 しかし、日が経つにつれ、地元の方々や子供たちとも交流が増え、気づけば自然と挨拶・会話も出来る自分がいました。子供たちとも鬼ごっこなどをして交流を深めました。この時、当初抱いていた不安は無くなり、人と接することが何よりの楽しみとなっていました。
さらに、それによって生まれた笑顔を見ることがとても嬉しく、心温かく感じられました。このことから、少しは自分が山古志に来て力になれたのかなと実感しました。
 そして最終日。見送りに来てくれた子供たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。山古志村の方々に受け入れてもらえたことを嬉しく感じ、名残惜しく帰路へと発ちました。

スポーツ東洋・記者 板橋啓太


 この夏、山古志にボランティアに行ってきた。しかし友達に誘われるがまま、というのが正直なところで、特にボランティアに興味があったわけでもない。きっと誘われなければ行かなかっただろう。こんな受身で、山古志のことを何も知らず無知な自分が、たった五日間だけ行くことに意味はあるのだろうか、そう考えながら新幹線に乗り込んだ。
 着いて早々にまず驚いたことは、自分が思っている以上に仮設住宅に人が残っていることであった。震災からもうすぐ二年、もしかしたらもうほとんど仮設住宅に人は残っていないのではないか、と考えていた自分にとっては驚きであった。しかしその理由は山古志に行けば、一目瞭然であった。水かさの増した川に沈んでいる家、まだ完全には舗装されていない道、村役場でさえ震災でメチャメチャになったまま放置されている状態の部屋もある。それら全てがまだ復興の途中だということを思い知るのに十分だった。
 そもそも復興ってどういうことであろうか。震災で、家も学校も山も何もかも崩れた。そして村を離れていってしまった人は確かにいる。震災以前の状態にすることを復興だとするならば、それは絶対に叶わない。それでも人たちは懸命になって復興活動にあたっている。自分にはそれが単に住み慣れた場所だからとか、都会は嫌だからといった単純な理由ではないように感じた。確かに住み慣れた村を出て、都会に出て新しい生活をすることは高齢者の方には厳しいから、そのようなことも復興の理由の一つであろう。
 しかしそれと同じくらい、“山古志に残る子供たちのため”といった気持ちも強く感じた。それを感じ取るかのように子供たちも「山古志に戻りたい」と口を揃えていたのがとても印象的だった。山古志の復興、それはこれからを生きていく子供たちのため、新しい山古志を創っていくことである。微力ながら自分が、その手伝いを出来たことに誇りに思う。新しい山古志村とそこに住む子供たちの未来を手伝えたことを。
 最近ではあまりテレビで山古志の話題を目にすることは無くなった。しかし山古志はまだまだ復興中だ。ゆっくりで遠くから見たら動いていないように見えるかもしれない。でも山古志は確かに進んでいる。

スポーツ東洋・副編集長 佐藤敦


 山古志の現状を知り、無知だと改めて悟った自分がいた。決して他人事であってはならない、と。“人間は自然の前には無力”。この言葉の意味を、山古志の在り様を見て痛いほど思い知らされた。 ただ同情したのではない。まっさらなこころで見つめても、それは変わらなかった。当たり前のモノが当たり前でないほど辛いことはない。それを取り戻すための力に、自分はなれたのだろうか。
 またいつか、震災前の姿を取り戻した山古志を訪れてみようと思う。

 最後になりましたが、お世話になった旧山古志村村民の方々と山古志災害ボランティアセンターの方々に厚く御礼を申し上げます。元の生活を取り戻す、その時が来ることを願っています。

スポーツ東洋・編集長 鈴木陽次


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